蓮台寺(れんだいじ)にある吉田松陰寓寄処とはどういう場所でしょうか?寓寄処(ぐうきしょ)の意味は?

吉田松陰寓寄処です。かやぶき屋根と黒い木の柱が趣があっていい感じです。
吉田松陰寓寄処へ訪れてみました。私ひとりでしたが、スタッフの方が熱く解説をしてくださいました。
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吉田松陰、下田から蓮台寺へ!
松蔭は皮膚病を患っていました。松蔭は最初に下田の宿に泊まったので、おそらくそこの宿主に蓮台寺温泉が皮膚病に効くことを聞いたのでしょう。でなければ下田からわざわざ蓮台寺まで来るはずありませんよね。
皮膚病に悩まされていた松蔭は蓮台寺まで温泉に入りに行きました。今では電車や車があるので、下田から蓮台寺まで歩く人はほとんど居ないと思いますが、当時は湯治の為に歩いたのですね。
歩くと1時間は掛かるけれど、長崎に行って帰ってきた松蔭にとっては大したことない距離だったのでしょうね。今の感覚では1時間歩くのは一苦労ですけれど。
吉田松陰寓寄処とは?!
蓮台寺にある吉田松陰寓寄処で説明を聞いてきました。入場料は100円です。
寓寄処(ぐうきしょ)とは短い期間滞在していた場所のことを言います。だから吉田松陰寓寄処とは吉田松陰が短期間滞在していた場所のことを言うのですね。
吉田松陰は村山邸で10日滞在
松蔭は蓮台寺の共同湯を見つけ、夜の人が居ない時に入浴していたそうです。それを発見した共同湯の前の家に住んでいる医師村山行馬郎が声を掛け、事情聴取ではないですが、よそ者だったので松蔭から話を聞きました。
松蔭が長州出であることや泊まる場所がないことを話すと、村山は自分の家に泊まらせることにしたそうです。見ず知らずの者を自分の家に泊まらせるとは、松蔭や金子の印象がとても良かったのでしょうね。有能な人物だと判断されたのでしょう。
なんと松蔭は村山に密航のことも話していたのです!(゚д゚)!村山医師は自宅の二階に松蔭と金子重輔をかくまいました。松蔭はすぐに密航の計画を話してしまうなんて、純粋というか、話せば分ってもらえると信じている人なんだと思いました。
二階は隠れ家になっていて、窓はありますが、当時は庭の木が高く生い茂っていて窓は外から見えなかったそうです。村山は医師なので松蔭の疥癬(かいせん)という皮膚病の治療もしていたようです。この医師も本当に度量の大きい方だと感心しました。
吉田松陰からペリーへの手紙(投夷書)
松蔭は村山の机で墨と筆、紙を借りてここでペリーに手紙を書いています。漢文ですが、草書で書いてありました。達筆で間違えもなく真っ直ぐに書いてある手紙を見て私は心から驚きました。
消しゴムで消すこともできないのに恐ろしく美しい字でしたためてあるんですよ。この手紙(投夷書)を見るだけでもどんなに松蔭が優れた人物であるか想像がつきます。
字がこれほどまでに人に感動を与えるものだとは今まで思ったことがありませんでしたが、これだけの内容のあるものを美しく書き上げた松蔭の学の深さ、几帳面さに驚愕しました。松蔭はこの手紙をペリーに渡すのに、何日もかかりました。
人に見られてはまずいので、慎重に水平さんが一人でいる時にポケットに押し込みました。その密航をお願いしている手紙が草書で書いてあったので、通訳が読めず、まず別の人に楷書に書き換えてもらってからその楷書の漢文を英語に訳す必要があったとのことです。
手紙を渡したからと行って、すぐに読んで貰えるわけではありませんよね。言葉が違うのですから。2段階方式の通訳ですね!このオリジナルの手紙はアメリカの博物館にあるのを数年前に発見され分かったそうです。吉田松陰ファンは研究熱心ですね。
吉田松陰自首する
ペリーは密航を許可しませんでした。そして松蔭はなんと密航の手引書なども書いていたそうです。ペリーのいるアメリカ艦隊のところへ行った時、その書物を小舟の中に置いたまま、小舟が流されてしまったのです。
役人に見つかったら大変です。そのため松蔭は師事した佐久間象山に迷惑が及ばないように自首したのです。松蔭が取調べを受けている時、密航の実行まで匿ってくれた村山家では大騒ぎとなったことでしょう!
村山家の娘は松蔭の食事の世話などをしていました。息子は奉行所に努めていて、松蔭が密航に失敗して取り調べを受けていることを知るとあわてて家に帰りました。父行馬郎にその旨を伝え、松蔭の着物などの荷物を埋めたり後から掘り起こして燃やしたりしたそうです。
このようなことがなぜ分かったかというと、このとき松蔭の食事の世話などをしていた娘は文字を書けなかったのですが、後に、孫に語ったのを孫が綴ったものがあるからなんですよ。

松蔭先生と我が家。 ここに当時の様子が書かれています。

松蔭が使った食器類です。 割れずに残っていたのですね。

二階の隠れ家です。 天井は低いです。

松蔭の似顔絵です。 若いのに本当にしっかりしていて偉い。 天才。言行一致。
点と点だった事柄が線で繋がった時、歴史はとても面白いと思いました。ヽ(^。^)ノ
この村山邸はかやぶき屋根で昔のままの姿で保存されています。
吉田松陰も入った昔の蓮台寺温泉のお風呂
お風呂がとても興味深いので説明しますね。

松蔭が入った村山邸のお風呂。 右側が熱くて左側がぬるかった。
お風呂は真ん中で仕切り板がありますが、底が数センチ隙間が空いています。上から熱いお湯がちょろちょろと入りますが、下の方は冷めてぬるくなりますよね。そのぬるくなったお湯が仕切り板の下から隣の湯船に適温となり移るんですよ。
この仕組凄いです!これは昔、蓮台寺はお湯はたくさん出るけれど、水のほうがあまり出なかったので、熱いお湯を水で薄めずに熱いお湯を冷まして使うという方法をとったのだと考えられているんですよ。
また、もしかしたら水で薄めないからこそ蓮台寺の温泉は良く効いたのかもしれませんよね!このお風呂の右側と左側を触って温度の違いを確認してみたら、熱い湯船とぬるい湯船にしっかり分かれていました!
この仕組のお風呂を見たのも聞いたのも初めてで、とても面白い、知恵を使ったお風呂だと感心しました。今でも近くの旅館にこの仕組のお風呂があるそうですが、ひとつは閉館してしまってお客さんは居ませんが、家の方がこの仕組のお風呂に入っているらしいです。
おもしろい仕掛けのお風呂でうらやましい!もう一つは金谷旅館で、日帰り温泉ではなくて、宿泊者用のお風呂だけこの仕組のお風呂が使われているそうです。
金谷旅館は近くにあるので日帰り温泉でも千人風呂に入れますから、お時間があれば金谷旅館に立ち寄ってみてくださいね。
吉田松陰寓寄処の記事のまとめ
- 松蔭は密航を企てるまで村山邸でお世話になった。
- 投夷書という手紙をペリーに草書の漢文で書いた。
- アメリカへの渡航は失敗に終わった。
- 当時の様子を村山医師の娘が後に孫に話していた。
- 当時のお風呂の仕組みが知恵を使っていて面白い。
今回の吉田松陰寓寄処でのお話はとても楽しかったです。歴史の事実はひとつだけど色々な解釈が存在していることも分かりました。(*^^)v松蔭のこと以外にもいろいろと歴史の話をしてくださって、とても勉強になりました。
あなたも是非吉田松陰寓寄処を訪れて歴史を楽しんでくださいね。歴史に詳しい方でも、歴史どしろうとでも、一日歴女でも大丈夫ですよ!!
場所:静岡県下田市蓮台寺300番地
昭和16年10月27日静臆見史跡指定
問い合わせ先:下田市教育委員会 0558-23-5055