歴史

伊豆下田市生まれの下岡蓮杖は横浜写真館のあと起業!!蓮杖写真記念館は寝姿山山頂です!!

投稿日:2016年11月15日 更新日:

日本の写真術の開祖は「西に上野彦馬、東に蓮杖」といわれていました。下岡蓮杖の生まれた伊豆下田には幕末、吉田松陰、勝海舟、坂本龍馬と歴史を動かした人たちが登場しますが、下岡蓮杖もその中の1人です。

dsc_0272

下岡蓮杖の碑。 蓮杖の像よりもずっと大きかったです。

dsc_0273

下田公園にある下岡蓮杖の碑。杖が長くて大きいです!

長い杖は蓮の根をあらわしたもので、 5尺3寸(160.59cm)あります。杖は自分の心を支えるもの。自分を支えてくれるなら師匠である。師匠は自分より大きくなければならない。といって長い杖を持っていたそうです。面白い人ですね!

スポンサーリンク

蓮杖は伊豆下田で生まれる

文政6年(1823)蓮杖は浦賀船改御番所の半問屋桜田与惣右衛門(よそえもん)の三男として下田に生まれました。幼名は久之助(ひさのすけ)。という事は、桜田久之助はあとから名前を下岡蓮杖に変えたということになりますね。

dsc_0274

下田公園にある蓮杖の碑からの下田の眺めです。

下田公園から下田の町並みはとても良く見えます。山と海と家々が重なっていてなかなか良い風景ですよ。残念ながらこの日は曇っていたけれど、晴れているともっと素敵な景色です。晴れの日に遊びに来てね!

江戸で足袋の丁稚になる

久之助(蓮杖の幼名)は13歳のとき江戸に出て、絵師になろうとするも、何のつてもない子供が画家の弟子になることができず、足袋屋の丁稚になりました。

きっと何人もの有名画家に弟子にしてくれるように頼み込んだのでしょうね。13才で純粋の塊のような子供が絵師になるために家を出たのに、足袋屋で働くのはさぞかし残念で辛い思いをしたことでしょう。

そんなにも絵を好む久之助が他人の足型をとる仕事など続くはずもありません。3年で下田へ帰ってきてしまいました。仕方ないですよね。

スポンサーリンク

絵師狩野董川の門弟になる

天保13年(1842年)久之助は下田奉行所が再興され砲台付きの臨時の足軽にどうにかなれたと思ったら、翌年海岸警備が解かれ免職となりました。働かなくてはいけないのに仕事もなかなかうまい具合にはいかなかったようです。辛い時期ですよね。

とは言え、この時暇さえあれば絵ばかりを描いていました。当時の同心畑繁八郎のつてを辿り、徳川幕府お抱えの絵師狩野董川(かのうとうせん)に入門することになりました。思いが強いと、ラッキーな出会いを引き寄せるのですね!

しかし久之助は浦賀砲台の増築でまた足軽を命じられ、一時、師を離れなければなりませんでした。人生なかなか思い通りに進みません。あきらめないで!それでもまた戻り、董川から学ぶことになりました。

蓮杖は狩野派の始祖正信の出生地である伊豆に生まれ、狩野派を学ぶということで師である狩野董川(かのうとうせん)から可愛がられ指導にも力が入り、蓮杖も懸命に腕を磨きました。董圓(とうえん)の号を貰うまでになりました。やはり絵の才能があったのです!

銀板写真に取り憑かれる

島津候の藩邸で銀板写真を見るやいなやすっかり取り憑かれてしまいました。「写実でこれに叶うものはない。」とこの新しい技術を学ぼうと決意したのが蓮杖21歳のときです。

なぜそれほどまでに自ら険しい道を選んでしまうの?わたしならもう「これでいいや。」と絵師のままでいると思うんですけれど。安政3年(1856)米国使節ハリスが来たのを機会に、通訳のヒュースケン(オランダ人)から写真術の教えを受けようとしました。

失敗に失敗を重ね、生活は惨憺たる有様でしたが、遂に鮮明な映像を得ることに成功しました。奥様もさぞかし大変な思いをなさったでしょう。文句も言わず(言ったかな?)付いて行って本当に偉いです。

横浜での写真館

文久元年(1861)横浜に写真館を開業しました。そのころはまだ一般の人に写真は受け入れられていなかったので、まずは外国人相手に商売を進めました。まだ日本人は写真を怖がっていた時代です。

商才のある蓮杖は日本の着物を消せてみたり、兜を着せたり、刀をもたせたり、東洋の雰囲気を醸し出して写真を撮ることで、外国人の興味をひきました。日本の若い娘と写真を撮ってみたり、あの手この手で写真館を切り盛りしました。

アイデアで勝負をかけたんですね!諦めず、頭を使ってアイデアを出し稼ごうとする商才が立派ですね。そうこうしているうちに横浜の日本人もだんだん写真に慣れてきて、「魂を吸い取られる」というおかしな噂は消えていきました。

写真に対してそんな時代もあったんですよね。慶応元年(1865)蓮杖は下田でも写真館を開業しましたが、横浜の人たちのほうが下田の人たちよりも写真に慣れるのが早かったようで、下田では苦戦しました。残念!^^;

起業家蓮杖

蓮杖は絵を描き、物凄い苦労のすえ写真術を会得し、明治初年には米人ビギンから石版術を習いました。米国から印刷機を取り寄せ、徳川家康の肖像を印刷しました。家康の肖像を印刷するとは出世したものです!

それまで木版盤しかなかった日本の印刷技術に画期的な革新をもたらしました。そのほか、牛乳の搾取、京浜間の乗合馬車の開設、横浜の英語学校などの新事業のたちあげも次々に断行しています。凄いバイタリティーの持ち主ですね!

乗り合い馬車はいいですね!現代なら乗り合いタクシーというところでしょうか?1人で乗るよりも安くて、馬車(タクシー)を待つ時間も短くて合理的でいいアイデアだと思います!

新しい技術、必要なもの、便利なもの、知識欲と、蓮杖は自分のためだけでなく、みんなの生活向上のために努めてくれました!なんて志の高い方なんでしょう!ヽ(^。^)ノ

蓮杖のひとりごと

蓮杖は「自分は生まれてくるのが早かった。あと20年遅く生まれてくればよかったのに。」と言ったそうです。

確かに、少し時代の流れよりも早くチャレンジしたから、苦しく大変な思いをしてしまったのかもしれないと私も思います。そして失敗から学んでやっと掴んだ自分の技術も、すぐに古いものになってしまう。(^_^;)技術の進歩は早いと身にしみて感じたことでしょうね。

近辺の見どころご紹介

蓮杖写真記念館は寝姿山の頂上にあります。寝姿山自然公園の寝姿山は下田市街地からみると、女性の寝姿に似ているからと付けられた名前です。美しい山並み、海、町並みを一望できます。

蓮杖写真記念館に下岡蓮杖の貴重な遺品を展示しています。写真好きの方、是非御覧くださいね。土曜日、日曜日、祝祭日のみ開館。ロープウェイで山頂まで登って帰ってこれますから、安心、楽ちんですね!

撮影コーナーでは、ドレスや軍服を着て写真を撮れるんですよ。ちょっといつもと違って面白いでしょ!?旅の思い出にいかがですか?

寝姿山の山頂からは下田の絶景を見渡せて、素晴らしい景色ですよ!下田ロープウェイ寝姿山は是非一度は登ってほしいです。

まとめ

  1. 蓮杖は絵師を志していた。
  2. 一枚の銀板写真が蓮杖の人生を変えた。
  3. ヒュースケンから写真技術を学ぼうとする。
  4. 撮影に成功して日本人初の写真館を開業する。
  5. 起業家の才覚を現していく。
  6. 寝姿山頂上に蓮杖写真記念館がある。

蓮杖は本当に先見の明がある人なのだと思います。時期尚早だったかもしれませんが、すばらしい嗅覚と行動力です。そして失敗しても上手くいかなくても挫けず、諦めず、突き進んでいくところを心から尊敬します。

特に面白いと思ったのは、外国人向けに写真を撮る時に「物語性」をだしているところです。今で言うコスプレのようなことをして当時、写真を撮っていたとは驚きです!

アーティストであり、研究者であり、起業家であり、アイデアマンだった蓮杖の爪の垢を煎じて飲みたい気分です。(^O^)こんなにバイタリティーのある方がいらしたのですね。人生何かに挑戦しなくちゃね!と思ったあなた、蓮杖の居た下田に遊びに来てくださいね!

蓮杖の碑がある下田公園は6月の紫陽花の季節が最高に素晴らしいですよ!\(^o^)/
あじさいで有名な鎌倉に住んでいる方でさえ下田公園のあじさいを見にいらっしゃるくらいですからね。(^^) お待ちしております!

スポンサーリンク

-歴史

執筆者:


comment

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

関連記事

下田、黒船で密航を企てた吉田松陰はペリー提督に拒否された?!その後松下村塾で弟子に講義!!

吉田松陰(よしだしょういん)は天保元年(1830)松本に生まれました。幕末、吉田松陰は黒船来航のとき密かに渡米しようとして失敗した話は有名ですが、どんな人だったのでしょうか? 吉田松陰の像。正座をして …

お吉記念館はお吉物語のハリスとお吉の資料がいっぱい!天津羽衣や島津亜矢の歌!

伊豆下田の宝福寺にはお吉記念館があります。天津羽衣さんや島津亜矢さんのDVDも販売していますよ。 「唐人お吉」(とうじんおきち)とは、なぜ日本人なのに「唐人」(とうじん)とよばれたのでしょうか?これは …

土佐藩出身の龍馬が下田で脱藩を許されたのは嵐と勝海舟のおかげ!!龍馬像にポケモンGO出現!!

江戸時代末期の志士坂本龍馬。土佐藩(今の高知県)出身の坂本龍馬が下田とどのような関わり合いがあったのでしょうか?龍馬が結成した亀山社中は長崎ですし、龍馬の眠る墓は京都霊山護国神社です。下田となにが関係 …

吉田松陰が下田の蓮台寺温泉で湯治した後密航を図る!!吉田松陰湯治跡の説明付き料金は?

蓮台寺(れんだいじ)にある吉田松陰寓寄処とはどういう場所でしょうか?寓寄処(ぐうきしょ)の意味は? 吉田松陰寓寄処です。かやぶき屋根と黒い木の柱が趣があっていい感じです。 吉田松陰寓寄処へ訪れてみまし …

伊豆半島誕生の秘密がここに!!フィリピン海プレートの移動で本州に衝突した伊豆半島!!その結果富士山もできた?! 

私は何を勘違いしたのか、「伊豆半島は大昔にフィリピンからやってきて本州にぶつかったらしい。」と思い込んでいました。「フィリピン」ではなくて「フィリピン海プレート」だったのですね。 地層の断層が良く見え …